旅の話を徒然に書いていきたいと思います。旅行記は旅に出た時のみ更新、 旅行にまつわるいろいろな情報(例えば今サンフランシスコ空港はセキュリティ・チェックが厳重だからすごく混んでるよ、など)は入り次第更新していきます。

旅の第一回は陸奥です。HP立ち上げるまでに時間がかかったもので、去年の秋の記録を今頃載っけております。写真をご覧になりたい方は陸奥写真集へどうぞ。


第一回 陸奥 (その1)

昔から歴史と民俗学にどうしても惹かれる性分で、手当たり次第、いきあたりばったり、柳田邦男から梅原猛からその他モロモロ読みあさリ、結果東北・縄文文化にはまりました。東北はすごい!ストーンヘンジはあるわ、縄文の巨大集落はあるわ、古墳はあちこちに散らばり、ピラミッドまである。伝説と考古資料の宝庫じゃないですか。東北の古代文明はすごかったに違いない・・・でなきゃ後年いきなり 奥州藤原氏の絢爛たる文化が咲きでる訳が無い。下地がなければ文化は発展し得ないので。西の歴史を基にした今の教科書の行間からさえ昔の奥州の凄さが匂ってくる。西が何回も奥州攻めをやっている、ってことは古代の奥州が強国だったし魅力的な所だった、とも読み取れるわけです。さて、歴史のウンヌンはさておき高橋克彦氏の「炎立つ」で舞台になった所にともかく行ってまいりました。

いきなりアラハバキの写真。 これは江刺藤原の郷にあるもの。アラハバキは鉱物、特に鉄の神だとか。陸奥は鉱物資源が豊富だった。

さーて陸奥行き。東京から東北新幹線に乗り、最初一ノ関で降りて平泉に行くつもりだったが、この電車は水沢江刺にも止るらしいので予定変更して江刺に先に行くことにした。こういう時レールパスは有り難い。行き先変更になんの面倒も無いから、今回の様にほぼ毎日新幹線で長距離を移動し、おまけに行き当たりばったりの旅の時は助かる。最初は富士山と箱根の山、丹沢がしばらく見えていた。秩父の山並みを横に見て、だんだんと関東の奥に入って行く。筑波山、日光、那須、赤城山、白根山、蔵王の山々が姿を見せては後ろに流れて行く。日本の山は険しいくせにどこか優しく、優しいくせに下手に入ると剣呑だ。東北は遠い様で案外近いし、交通の便も良い。窓からの景色も山が近い所為で飽きないし、大きな虹がみごとなアーチを作って刈り取られた水田にかかっているのも見る事が出来た。幸先が良い。江刺の 駅に降りたら「炎立つ」の出演俳優・女優さんの手形がずらりと並んでいた。

まず岩屋堂にある五位塚へ。 入口からほんの1分程細い山道を上がって行く。周りは松。この丘そのものが五位塚の古墳ではなかろうか。一番手前の大きな土饅頭が藤原経清公の墓。道は土饅頭の裾をめぐり、正面に供養願文を刻んだ新しいりっぱな石碑と墓碑が建っている。西側に土饅頭が5つほどあり、これは藤原ゆかりの人々の墓だと言われている。経清公が惨殺されたのは今の盛岡に近い厨川で、公の首は京で晒されたと言われる。彼は政府側の武人であったのが、前九年の役の途中で方向転換して安倍側につき源頼義を苦戦させたものだから、頼義はよほど経清が憎かったらしい。厨川で安倍氏が破れた時に経清の首を鈍刀で鋸引きにしている。厨川の戦いの後、安倍氏の生き残りである母の有加一乃末倍(ありがいちのまえ)と共に出羽の清原の人質となって生き延びたのが後の藤原清衡公。
五位塚の次は近くにある豊田館(とよだのたち)跡へ。入口から登って行くと、開けた台地になっていて、愛宕神社と 石碑が建っていた。ここはかつて経清公の館であり、清衡公も平泉に移る前に住んでいた。経清公より清衡公の方が派手だし、比べ物にならないほど 人に知られている。実際自分も安倍貞任、宗任や清衡、秀衡は知っていても、前九年の役の重要人物であり奥州藤原氏の祖である経清は最近まで知らなかった。 豊田館跡からは岩屋堂の地が一望に見渡せる。いま千年近く前に彼らが歩いた同じ地面の同じ箇所を踏んでいるかも知れない。

五位塚。奥州藤原氏の祖、 藤原経清公の墓とされているもの。新しい墓碑は先年建てられた。豊田館跡。平泉以前の 藤原氏の館。天気が悪かったので暗い写真になってしまった。

江刺に来ていて藤原の郷を見ないのはもったいない。せっかくだから 思いっきりミーハーしてこよう、というわけで行って参りました、藤原の郷。ここは敷地の広さと建物がしっかり作ってある事に驚く。 鎌倉時代から以前のロケ用施設はここしか無く、一回きりの撮影用ではなく繰り返して使えるように、かなり正確な時代考証のもとにがっちり作ったそうだ。この日も 「聖徳太子」の撮影をしていて、平安装束の俳優さん達が出番を待っていた。


政庁。内部 では「陰陽師」のパネルが飾られ、VTR映像も流されていた経清館の櫓門。ドラマではこの門を 鎧武者が出入りしていて、上にも鎧を着た人がずらっと並んで緊迫感あった。名前の通り紅葉 で燃える炎坂。

郷の入口の門を入ってまず政庁。すごく広く見えるし、しっかり造ってある。政庁を 南門から抜け、見返り坂を上がり経清館へ。途中に平安時代の工房や井戸、穀物倉庫などが ある。ドラマの「炎立つ」で見た懐かしの櫓門を潜って中へ。当時の陸奥豪族の館を再現したそうで、建物の配置はもとより、内装細部までこだわって作られて いる。厩には床が張られており、どの建物も屋根は藁葺き。ものすごい投資だ。
経清館を後にして清衡館へ向かう。陽がさして来た。清衡館は一時代後になるので建物の様式も変化しており規模も経清館に比べると大きい。 一目で違う時代の建物とわかる。屋根はこけら葺き。清衡館の建物の一つが休憩所になっていたので、覗いてみると『中尊寺の力まんじゅう』なる巨大なお饅頭を売っていた。 ためしにひとつ・・・美味しかったす。
清衡館を出ると炎坂を通って城柵エリアに向かう。炎坂は紅葉で炎の如く燃え立っていた。坂を下ると 河崎の柵。左奥に進むと秀吉の生家のセットがあるが、時間が無いので割合。その斜め向いは伊治城として使われた建物。 さらに道をたどると厨川の柵がある。厨川の柵を入りしばらく歩くと「陰陽師」に使われた変形の鳥居があり、もう一つ簡単な 門を入ると奥にアラハバキがあった。厨川の柵の向こうは神域のセットとして使われているらしい。道の端にも小さいアラハバキが 二つ。
城柵エリアを後にして金色堂の模型のある丘に上がってみる。金色堂は・・これだけは模型そのもの。金色堂の丘からおりて伽羅御所へ。「炎立つ」では秀衡と泰衡の館として使われていた寝殿造りの建物。「聖徳太子」も午後は ここで撮影するそうだ。それにしても、時間の関係で駆け足ですべて見なきゃならないのは至極残念。次回はもっとゆっくりじっくり見たいものです。


前沢のあたりで運転手さんが東北弁で「東北訛を以前は恥ずかしいと思ったけれど、今は東北の 言葉と文化は自分たちの誇りだ、だから絶対に絶やしてはならないと思う」と言っていた。そうあるべし。東北の文化は西から来たものとはシステムが違う。違ったから 昔からせめぎあい、幾度も衝突が起きた。逆に言えば、幾度も衝突が起きた程東北の文化が優れていたことになる。平泉までは20分ほど。江刺から前沢を通り、美味しい 江刺のりんごと前沢牛の話をしながら衣川を渡り、中尊寺へ。金色堂のすぐ下まで乗せてくれた。


引き寄せられる様に金色堂に入った。仄暗い堂の中は香が流れている。硝子の向こうの金色堂は意外と小さい。しかしその見事さには息をのむ。建築当時は金ぴかだったかも知れないものが、八百年の歳月を経て落ち着いた色合いになり、全体に施された螺鈿は繊細で趣味が良い。須弥壇の仏像も、蒔絵と螺鈿が施された天蓋も長押も金、天蓋からは水晶の玉を連ねた網が下がっている。これだけ金を使いながら金づくめの厭らしさなど皆無の、優雅でうつくしい金色のお堂だった。
正面の須弥壇の下には清衡公が、向かって左は基衡公、右には秀衡公が眠り、 京から誰かが奪い返して平泉に帰ってきた泰衡公の首級も一緒に納められている。ここは八百年を経た奥州藤原四代の墓所。長い歳月のさらに向うには清衡公の父である経清公と母方の安倍一族がいる。昔来たときはその意味を考える知識も彼らを憶う感覚も無かったが、今人気のない鞘堂のなかで手を合わせ、ガラスを隔てて彼らと改めて向き合うと、八百年の永さだけでなく短さすら感じる。彼らは今でもここに居て訪れる人を待ち、言葉無くして語りかけている。
金色堂の後は讃衡蔵へ。ここは宝物館で棺の中から出て来た副葬品が展示されている。棺の中から出て来た太刀、清衡公が身につけていた念珠や泰衡公の首級がもともと納められていた首桶などがある。首桶は黒漆塗りで結構大きく、形は昔の飯櫃みたいだ。太刀の刀身は殆ど錆びてぼろぼろになってはいるが、まだ形を留めているものもある。水晶の念珠がある。派手な性格だったと伝えられる基衡公のは素晴らしい細工が施されており、秀衡公は僧らしく簡素な水晶、泰衡公の首桶に入っていた念珠は公の頭の上に置かれていたそうだ。合掌。
参道を降りて行く途中にある展望台から束稲山、北上川、衣川と 衣川の古戦場が見渡せる。中尊寺はかつての『衣川の柵』より川をへだてて南に築かれた。清衡公は「この地であった幾多の戦いで喪われた霊を供養するために」関山一つまるごと寺にすることで、安倍氏の時代からの「衣川の南」の悲願を達成してしまった事になる。

  金色堂(の鞘堂)です。 内部の金色堂本体は撮影禁止だから外だけ。 経蔵。いやもう、風情たっぷりの佇まいでした。 秋の夕暮れ、時折紅葉がはらはらと散りかかる・・・。夕日をあびる衣川古戦場。束稲山、 北上川、かすかに衣川も見えます。

最初の計画では中尊寺のあと毛越寺と高館にいく予定だったけれど、江刺でミーハーしたので時間切れ。デジカメもバッテリー切れ。加えてお昼抜きで走り回っていたこちらのエネルギーもちょうど切れた。平泉の駅で電車を待っている間に駅ソバ食べて、 食べ終わったらちょうど電車が来て平泉から2駅で一ノ関。新幹線に乗り換えて東京。東海道線で辻堂。平泉のお土産は『関山香』一箱と『中尊寺の力まんじゅう』 3個でした。

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