旅の話を徒然に書いていきたいと思います。旅行記は旅に出た時のみ更新、旅行にまつわるいろいろな情報(例えば今サンフランシスコ空港は セキュリティ・チェックが厳重だからすごく混んでるよ、など)は入り次第更新していきます。

旅の第二回は鎌倉です。私、春海坊は鎌倉由比ガ浜で生まれ、辻堂で育ちました。現在太平洋を 隔てて住んでいようとも、鎌倉という土地とそこに生きた人々に対しては特別な愛着と思い入れがあります。ですから鎌倉を『旅の話」としてご紹介する事にはためらいも ありますが、今回は「鎌倉が鎌倉らしい」緑の季節に鎌倉に帰る事が出来ました。去年の秋の写真と会わせてご覧ください。 鎌倉の写真をご覧になりたい方は鎌倉写真集へどうぞ。


第二回 鎌倉(その1)

小糠雨。この季節の雨は緑が映えて美しい。降っていても空は明るいので午後から北鎌倉に向った。北鎌倉の駅は円覚寺の真ん前にあり、横須賀線で来た観光客の半分はまず円覚寺の石段を登って行く。駅も駅舎も昔風につつましく、円覚寺のある東口は今でも自動改札ではなく駅員さんが切符を預かるし、切符売り場も線路を渡った西口にしか無いが、文句を言う人などはいない。
駅を出たら線路に沿って50m程歩くと、明月院の谷戸から流れる明月川にぶつかり、流れに沿って左に入ると緑の若葉の天井だ。観光客は多いし車をも通るが、山ノ内が持つ独特の静けさは人や車の騒々しさを飲み込んで落ち着かせてしまうらしい。参道脇の小さな流れは「しゃわしゃわ」と気持ちの良い音を響かせて明月院の奥へと続いている。門を入って左へ行くと茶室「月笑軒」があり、茶室を通り過ぎると北条時頼の墓所がある。平たい石を積み上げた上に墓石が載せられ、石を覆う苔の下から北条の紋が浮かび上がっている。
時頼公がこの地で生きたのは七百年あまり前、鎌倉が時代の流れの中心だった頃だ。そもそも平安末期に平清盛に睨まれていた源頼朝に肩入れして鎌倉時代への道を開いたのは北条氏だが、その頼朝の末裔が三代で途絶えると鎌倉幕府の実権をにぎったのも北条氏。入り組んだ政治情勢の中で五代執権となった時頼公は、同時代の人からも「名執権」と詠われた程のすぐれた器量を持った人であったと言う。二十歳前に執権の座に着き、三十歳で引退・出家し、伝説では東日本をあちこち忙しく旅をして回った後、三十七歳で当時は最明寺と呼ばれたこの明月院で亡くなった。毒殺されたと言う説もあるらしい。墓前には菊が供えられており、香を焚いた跡があった。墓の前には入れ替わり立ち代わり、間断無く人が訪れているから、今日はゆっくり時頼公と話す事は不可能らしい。七百年経っても忙しい人は相変わらず忙しいと見える。

茶室『月笑軒』。昔一度だけ早朝のお茶会に参加しました
時頼公の墓所にはいつも人が訪れる。700年経っても忙しい人は忙しい。

時頼公の墓。いちどもうまく撮れたためしが無い。これも暗くなってしまいました。

 
きざはし。左右は紫陽花。
明月院の庭園。一般公開は6月初旬の2週間。
瓶の井。今でも使用可能な貴重な井戸。
明月院方丈の丸窓。庭園の緑が濃い。
 

雨模様の日は緑が映える。木々も苔も石も、辺りのものは全て水を含んでしっとりと落ち着き、鶯の谷渡りが至る所で聞こえる。総門から山門へと続く石段は何百年もの間、参詣する人の足に踏まれ、すり減ってやわらかな形になっており、石段と言うより「きざはし」という古い言葉の響きが似合う。山門の辺りに漂う良い香りは、山際に一本だけある朴の木から流れて来るらしい。鎌倉で朴の木はあまり見ないが、山際の暗い緑を背景に白く大きな花が浮き上がる様に咲いているのは幻想的だった。方丈に上がると大きな丸窓から谷戸の庭園が眺められる。お茶をいただいていると運良く雲が切れて谷戸に日が射した。一休みした後「やぐら」「鎌倉十井」のひとつ「瓶の井」に回ってみた。
鎌倉で「やぐら」と言えば、崖に穿たれた穴を墓所にしたものの事を言う。上杉憲方の墓だと伝えられる明月院のやぐらは大きく、風化しているがうっすらと浮き彫りされた人の形が見られる。やぐらと切り通しは鎌倉独特のものだが、血腥い歴史の所為か結構不気味で、夕暮れの名越切り通しなどは避けたい場所だ。ちなみに「谷」を「やつ」と呼ぶのも鎌倉独特のもので「扇ガ谷」「おうぎがやつ」と読む。
鎌倉は湧き水が多く、山ノ内から扇ガ谷に抜ける亀ケ谷切り通しは滲み出した水が滝の様に滴っている。鎌倉の湧き水は恵みであるが、反面湿気と寒さを呼ぶ。北鎌倉や扇ガ谷の暗さは大量にじくじくと滲み出して滴る水の所為でもあるようだ。実際、鎌倉十井のうち六つはこの辺りに点在しているが、今でも飲用可能な水はごく少なく、山の裏の巨大団地や宅地造成によって汚染されたり切られてしまった水脈が多い。鎌倉の山が乾いてしまったのは何ともやるせない。
明月院を後にする前に総門脇の参拝者用トイレに関して一言。残念ながら特に女性用トイレ使用者のマナーが悪すぎて
お寺さんを嘆かせているらしい。「立つ鳥後を濁さず」と言いますぞ。観光に来る程元気で身体の動きに支障無いなら、落とした紙を拾って捨て、はね散らかした水を拭き取ってから出て行く程度の労力と気は使ってしかるべきだろう。便利に使わせてもらうのなら最低限のマナーは守って欲しいものだ。

鎌倉十井は「瓶の井(明月院)」「甘露の井(浄智寺)」「底脱の井(海蔵寺)」「扇の井(扇ガ谷)」「泉の井(扇ガ谷)」「鉄(くろがね)の井(鶴ケ岡)」「棟立の井(覚園寺)」が北の山側に、「星の井(極楽寺)」「銚子の井(名越)」「六角の井(小坪)」の三つが南の海側にある。他にも「十六井」や「銭洗水」など「鎌倉五名水」と呼ばれる湧き水がある。

 

鎌倉は小さい。北鎌倉と鎌倉は電車で5分の距離だが、建長寺から巨福呂坂を通れば八幡宮は目と鼻の先で、歩いてもたいした事は無い。車やバスを使わずに鎌倉を自分の足で歩けば、この地に生きた昔の人の時間と距離の感覚が解る。鎌倉は人の足と馬の足、現代なら自転車で十分な広さしか無いが、その歴史は濃い。
明月院の次は浄智寺へ。鎌倉五山第四位の名刹でしっとりした趣のあるお寺だ。総門の脇にある鎌倉十井の一つ「甘露の井」が、苔むした石橋がかかる池にひっそりと水を滴らせ、やわらかく古びた優美な石段が山門まで続く。現在北鎌倉と呼ばれているこの辺りは北条氏の所領であったため、北条氏に因んだ寺が多い。この寺は蒙古襲来の戦で若くして亡くなった北条宗政のためにその夫人が建てた寺で、独特の優しげな静けさがある。山門は鐘楼を兼ねた唐風の珍しい造り、仏殿の後ろの建物は藁屋根で、由緒も歴史もある名刹ながら鄙びた風情の不思議な暖かさがあり、鎌倉の他のお寺が持つ近寄り難さや厳しさが無い。近くの人が一休みするためにふらりと立ち寄りそうなお寺だ。広場の奥には神奈川の名木に指定されている見事な白雲木があり、白い房になって咲く花が満開だった。寺の後ろには布袋様が祀ってある。洞窟の中の布袋尊の石像は参拝者たちに撫でられ続けたおなかが黒光りしていた。浄智寺の脇からは「葛原が岡、源氏山ハイキングコース」に入れるし、ハイキングコースの途中から扇ガ谷の海蔵寺へと抜ける事も出来る。北鎌倉から海蔵寺に行くには亀ケ谷切り通しを抜け「岩船地蔵堂」を通る道もある。

浄智寺総門。石の趣が見事。
総門前の「甘露の井」はうっかりすると見過ごす。

布袋様の石像。おなかを撫でるとご利益があるそうな。

 
海蔵寺「十六の井」入口。これ以降の写真は去年秋に撮ったものです。
壮麗な建長寺の三門。

樹齢750年の柏槙の木。鎌倉の歴史を見てきた木。

  海蔵寺は花のお寺として有名な、静かな落ち着いたお寺だ。門前に鎌倉十井の「底脱の井」があり、もし運良く岩屋の扉が開いているなら「十六の井」を見る事も出来る。海蔵寺から戻る途中には岩船地蔵堂があり、以前はうっかりすると通り過ぎてしまいそうな古びたお堂だったが、最近すっかりきれいになった。亀ケ谷切り通しを通って北鎌倉に戻ると足利尊氏の墓のある長寿寺の脇に出るが、ここは一般に公開していない。長寿寺から建長寺は目と鼻の先だ。
時頼公が建立した建長寺は、鎌倉五山一位の寺で臨済宗建長寺派の大本山だ。鎌倉のお寺には珍しいスケールの大きさで広大な敷地に三門、仏殿、唐門、方丈、と一直線に並び、北条氏の三つ鱗紋が至る所で目につく。仏殿に祀られているご本尊は地蔵尊でこれは建長寺が建てられる前はこの地が刑場だったからだとか。江戸時代に造られ、県の重要文化財でもある巨大な三門は、僧に化けた狸が建設を手伝ったという伝説から「狸の三門」とも呼ばれ、広い敷地の桜並木の向こうに偉容を見せてそそり建つ。三門から仏殿までは樹齢七百五十年の巨大な柏槙の木が並び、開山当時植えられたそのままに鎌倉の盛衰を見て来た。建長寺はとにかく活気があり、気持ちのいい緊張感が漂っているお寺だ。建長寺の裏手の山を登って行くと半僧坊を経て、鎌倉の周囲を半周し瑞泉寺十二社の近くに出る、鎌倉では一番長い「天園ハイキングコース」に入れる。半日かかるコースだが、頂上からの見晴らしは素晴らしい。
 

建長寺まで来たら、鶴ケ岡八幡宮は目と鼻の先だ。鶴ケ岡八幡宮は、もともと源頼義前九年の役の戦勝を願って由比ケ浜に祀った若宮を頼朝が今の場所に移したもので、源氏の護国神社だ。
由比ケ浜から真直ぐ本殿まで伸びる若宮大路を行くと、鎌倉駅近くに両側を狛犬に守られた弐の鳥居があり、鎌倉時代の歩道「段葛」はここから始まる。桜の木と石灯籠が並んだ広い歩道が若宮大路の真ん中を通り、桜の季節や何かの行事の折などは夕暮れ時になると花の間に灯籠の灯が透けて見え、幻想的でしかもきりっとした美しさになる。鎌倉はやはり歴史のある町だと実感するのはこのような時だ。欲を言えば染井吉野ではなく山桜ならもっと良かったが。段葛を抜けると八幡宮の真ん前の参の鳥居で、鳥居を潜ると「源平池」にかかる石造りの太鼓橋があり、その先は山の上の本殿まで真っすぐに道が続いている。最近太鼓橋は立ち入り禁止だが昔は渡れたから、子供の頃はつるつるすべる石を何度もよじ上っては滑り降りた。いまは太鼓橋の左右に設けられた普通の橋を渡るしかない。両池ともに蓮が植っているが、宮に向かって左が平家池で右が源氏池
境内に入ると参道はだだっ広くなる。去年化粧直しが終わり、本殿がすっかりきれいになった。八幡宮で有名なものに流鏑馬があるが、これは東西の参道を使って9月に行われる。きらびやかな装束の騎馬武者が次々に鏑矢を射て行くが、近くで本物を見るとものすごい迫力がある。機会があれば是非一度は見てほしいものだ。

段葛から参の鳥居と本殿を望む。
残照の参の鳥居。

由比ケ浜夕景。稲村ケ崎のシルエット。

 

八幡宮で見逃さないで欲しいものの一つに、鎌倉国宝館がある。去年の秋に来た時はちょうど「建長寺宝物展」をやっていて北条時頼座像を見る事が出来た。どの写真も黒のバックでその上照明の加減で陰影が強すぎて表情に険があるし、鎌倉幕府の権力者という先入観も手伝って、冷たい顔の印象を持っていたが、近くで見る木像は描いていたイメージとは全然違う、穏やかなあたたかい風貌をしていた。隣にあった蘭渓道隆の像の方がはるかに怖い。この座像は時頼公が亡くなってから彫られたらしいが、一体誰がモデルだったのだろう。時頼公の座像を見ながら「どこかで会った様な顔だな・・・」と不思議な親近感があったが、後で近所のお地蔵様だと思い当った。 

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